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 髪結いをトリエ、化粧をサヴィアローシャにしてもらい、公爵令嬢として、国王の婚約者として申し分ない姿を作り上げたフィリネグレイアは、国立博物館開館記念式典へ出席するため王宮を出た。
 会場までの移動は国王と一緒ということで、現在フィリネグレイアは狭い車内に国王と2人きりで並んで座っている。
 会話もなく静かだ。
 何故なら、フィリネグレイアは窓から外の景色をずっと見つめているし、国王は書類を読んでいる。
 移動中くらい休んだら良いのに、とフィリネグレイアは思ったが、この時間を惜しむほど仕事が多いのだろう。邪魔にならないよう、フィリネグレイアは静かに過ごす。
 じっと外を見ていると溜息が聞こえてきた。彼女は視線を国王に向ける。
 国王は目頭を押さえ、眉間に皺を寄せている。
「お疲れ様です」
 国王は手を離し、フィリネグレイアを見る。
「ああ」
 肩が凝っているのか、国王はフィリネグレイアに返事をすると書類を片付けて肩を回した。すると鈍い音が響く。
 国王が肩を回す度に鈍い音が車内に響き、その回数と比例するように、フィリネグレイアの眉間に皺が寄っていった。
 やがて、フィリネグレイアは耐えられなくなり口を開く。
「陛下、体を右に向けていただけませんか」
 彼女の突然の申し出に、国王は驚いたが素直に応じる。
「失礼します」
 一言言うと、フィリネグレイアは国王の肩を揉み始めた。そうして国王の強張った体を解していく。
 一通り解し終わると、フィリネグレイアは手を離した。
「如何ですか?少しは楽になりましたでしょうか」
 確認するように肩を回す国王は頷いた。
「とても楽になりました。ありがとうございます」
「どういたしまして。お役に立てて光栄です」
 それだけ言うとフィリネグレイアは再び外の景色を眺め始めた。
 しばらくの間国王はそんな彼女を見ていたが、彼もまた先程と同じように書類に目を通し始めた。
 数分後、2人を乗せた車は式典会場に到着した。


 式典が執り行われる博物館に到着すると、直ぐに会場に通された。会場には来賓客の他、一般の出席者も多く、どれだけの人々がこの博物館の完成を心まちにしていたのかが分かる。
 この国や他国の文化に関する資料が集められ、研究を経て得られた結果を多くの人が見て、聞いて、知識を広げることが出来るようにこの博物館が作られた。ここで人々は自分の国の事を更に知り、また他国の文化や歴史に触れて世界が広がることだろう。この博物館がどれだけの人の知識を、世界を広げるだろうか。フィリネグレイアは多くの参加者と同様に、期待で心を躍らせた。
 開館式典は二時間程度で終わり、フィリネグレイアは他の莱賓客と共に役員の案内で控え室に入った。
 館長が挨拶に来るらしく、フィリネグレイアはソファに座っている国王の隣りに腰を下ろす。
 国王は正面に座っている貴族の男性と談笑している。その様子をフィリネグレイアは静かに、時折自分に向かってくる話を控えめに返しながら見ていた。
 フィリネグレイアは何となく国王の様子がおかしい様な気がした。何と表現したらいいのだろう。体がだるそうなのが見ている方でも察してしまう雰囲気、とでもいうのだろうか。車内の中でも調子が悪そうだった。あの時は体が凝り血流が悪くなっているせいだと思っていたが、疲れが溜り体調に悪影響を与えているのかもしれない。
 国王に声をかけようとしたところで、控え室に館長がやって来た。
「皆様、本日は出席して頂きありがとうございました」
 簡単に今日の式典の出席に対する礼を言い、深々と礼をとる。
 最初に国王が館長に声をかけた。
「我が国の国民ひいては他国の人々の文化を知る事が出来る素晴らしい場所の門出にこうして立ち会えた事は私たちにとって大変光栄な事です。これから大変でしょうが共に協力し、頑張ってここを守り発展させていきましょう」
 国王の言葉に館長ははい、と本当に嬉しそうに笑いながら返事をした。その表情に周りにいた人たちもつられて笑顔になる。
「お久しぶりです、先生」
「久しぶりです、フィリネグレイア君。君が高等学校を卒業して以来だから一年ぶりか。元気なようでなによりです」
「先生もお元気そうで」
 博物館の館長を務める男性は、フィリネグレイアが高等学校に在籍中は高等学校の講師として働いていた。フィリネグレイアは良く彼に助言を貰ったり疑問に答えてもらったりするなど交流があったのだ。
「良かったら館内を見て行って下さいね。貴女の好きそうな展示品が多くありますよ」
 本当は今直ぐ見に行きたいが、先程の国王の様子が気になる。早く王宮に戻って休ませたい。フィリネグレイアは申し訳ないが彼の提案を断るつもりだった。だが、彼女の心配の原因である本人が余計な事を言いだす。
「良かったら今から見てきたらどうですか?帰りは」
 国王の言葉をフィリネグレイアは遮る。
「陛下。わたくしは陛下と共に王宮へ戻ります。ここはまた今度、拝見させて頂きますわ」
 自分と別行動をしたら、きっとこの人はすぐに仕事を始めるだろう。それを阻止する為、フィリネグレイアは言う。
 フィリネグレイアの真剣な声音に、国王は一瞬怪訝な顔をしたが、直ぐに元の穏やかな表情に戻した。
「分かりました。では、申し訳ないがそろそろ私たちはお暇します」
 そう言うと、国王はフィリネグレイアを伴って退室する。館長は館の出入り口まで見送ろうとした。だが、他の莱賓客がいるのだからと控え室に残るよう国王が言い、見送りを断った。
 館長は役員を呼び、2人は再び役員に先導され出入り口まで行った。
 そこには既に車が待機しており、役員が開けてくれた扉に国王、フィリネグレイアの順に中に入り扉を閉めると、直ぐに車が発進した。
 車が出ると、国王は博物館に来る時と同じように書類の確認作業を始めた。
「陛下、王宮に戻るまで休んで下さい」
 狭い車の中で、可能な限り国王の方へ己の体を向けて、フィリネグレイアは訴えた。
 書類から目を離し、国王は彼女を見る。何も言わずにしばらくフィリネグレイアを見ていたが深く息を吐くと書類を仕舞った。
「少し寝る」
「横になりますか?」
「いや、いい」
 国王は腕を組み、窓の方に体を預けて目を閉じた。
 少しすると、寝息が聞こえてきた。よほど疲れていたのだろう。顔を見ると、少し眉間に皺を寄せている。寝苦しいのだろうか、それとも具合が悪いのだろうか。
 出かけた時とは違い、フィリネグレイアは王宮に到着するまで国王の様子を見ていた。


 王宮に到着したのは正午になる少し前で、車に乗った時より少し国王はすっきりした顔をしている。その事に安心しながらも、フィリネグレイアは仕事のし過ぎではないのだろうかと心配になった。
 国王は車内で休んだだけで、直ぐに執務に戻って行った。
 フィリネグレイアはもう少し身体を休めてほしいと進言したが、国王は無理だと一言で却下した。
 フィリネグレイアはせめて仕事の間に休憩を入れて下さいと告げ、去って行く国王を見送った。
 精の付く物や、身体の疲れを取ってくれる物を取り寄せようかと考えたところで、あることを思い出した。自分があれこれと気を回すまでもなく、国王には大事な恋人がいるではないか。きっと彼の恋人は愛する人の事を考えて色々と手を尽くしているだろう。
 だが、この自分の考えが正しいとしたら、その癒しが追いつかないほど国王は疲弊しているのだろうか。
 フィリネグレイアは引っかかりを覚える。
 それは何なのか。
 フィリネグレイアは部屋に戻ると早速、情報を集めるため行動を起こす。彼女はある事を調べてもらおうと、ミュレアを部屋に呼んだ。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「ええ、貴女に頼みたい事があるの。少し忙しくなると思うのだけれど、大丈夫かしら」
「はい」
「一週間以内に最近国王陛下がお忙しい理由と後宮や王宮に入って来る物全ての目録とそれらがどこに行ったのか調べて欲しいの」
 フィリネグレイアの言葉に、ミュレアは深々と頭を下げ了承の言葉をを口にする。
「畏まりました」
「早く新しい侍女を雇えたら貴女の負担が軽くなるのだけれど、ごめなさい」
 現在、フィリネグレイアが自由に使える従者はミュレア唯一人だ。そうするといくら女官たちの助けがあるといえど、彼女に負担がかかる。かといって簡単に侍女を増やす事も出来ない。フィリネグレイアは己の侍女に求めるモノが一般の令嬢たちと違いすぎるのだ。時間をかけて彼女は自分の侍女にふさわしい人物を選んでいるため、思っていた以上に時間がかかってしまっている。
 これは早く新しい人材を見つけなければ、とフィリネグレイアは思った。
「使えない者では意味がありませんから」
 だから焦らず、思う存分自分が納得する人材を探してくれ、と言い残し、ミュレアは退室していった。
 ミュレアの存在にどれだけ支えられているのか、フィリネグレイアは本当に彼女には頭が上がらないと1人笑った。
 さて、自分も外に出て情報でも集めようか。
 フィリネグレイアはサヴィアローシャを呼んで、式典様の礼服から幾分か軽装のものに着替え、髪形も簡単なものに直した。
 これなら王宮内を歩いても差し支えないだろうという最低限の装いを整えて、フィリネグレイアは1人部屋を出て王宮内を歩く。
 宿泊施設として機能している区画を抜けると、目の前に庭園が広がっている。吸い寄せられるように、フィリネグレイアは庭園内に足を踏み入れた。
 特にはっきりとした目的もなく出てきたのだ。少しぐらい庭園を見たって良いだろう。
 フィリネグレイアは庭園を散策してから王宮に入ろうと決めた。
 1人ゆったりと庭園を見て回る。
 少し奥に入ると、一人の庭師が花の手入れをしている。
 フィリネグレイアはそろそろと近づいて行き、庭師に声を掛けた。
「こんにちは」
 彼女が挨拶をすると、庭師は作業の手を止め振り返る。そして彼女を見てその顔に驚きの色を浮かべるも、すぐにそれを笑顔に変えて穏やかに応えながら立ちあがった。
「こんにちは。何かご用でしょうか?お嬢さん」
 初めて会う貴族に対して少し軽い対応にフィリネグレイアは少し目を見開いたが、特に何も言わず笑顔を浮かべる。
「こんにちは。お仕事のお邪魔をしてしまって申し訳ありませんが、何をしてらっしゃるのか気になりまして」
「ああ、これですか?」
 庭師は振り返って自分が作業していた場所を見る。
「カポネラの苗を植えていたのです」
 庭師の言葉にフィリネグレイアは驚いた。
「あのカポネラの苗をですか?育成が大変難しく人工的に育てることは出来ないと聞き及んでおりましたが」
「ええ、そうです。長年挑戦して、ようやく綺麗に咲かせることが出来ました」
 フィリネグレイアの反応に庭師は笑顔を浮かべたが、その表情には憂いの色が見える。素晴らしいことを実現しようとしているのに何故このような悲しい表情をしているのだろうか。フィリネグレイアの顔を見て彼女の困惑を感じ取ったのだろう。庭師は苦笑を浮かべて語り始めた。
「本当は、人の手で自然の理を変えてしまうような事をしても良いのだろうかと随分悩みました」
「自然の理、ですか?」
「はい。ここに植えてある植物はみなこの地でも病気などに気を付ければ問題無く育つものです。しかし、この花は違います。それを私は自分の願いのために無理やり人の手を加えた場所で生きていける様に変えてしまった」
 庭師は悲しそうにほほ笑んだ。
「ですが、貴方が手を加えなければ、このこたちは生まれて来ませんでした」
 励ます様な彼女の言葉では、庭師の悲しい笑みを拭い去ることは出来なかった。
「そうですね。ですが、私はひどく罪深い事をしてしまったのかもしれません。いや、してしまったのでしょう。それでも」
 そう言って目を細めた庭師は、言葉をそれ以上続けずに口を閉ざした。それを見ていたフィリネグレイアは、無意識言葉を紡ぐ。
「それでも、やり遂げたい信念を、思いをお持ちになっていたのですね」
 彼女の言葉に庭師は、ただほほ笑むだけで何も言わなかった。その様子にフィリネグレイアはこれ以上彼の邪魔をしてはならないと思った。
 フィリネグレイアは、庭師に礼を言う。
「お話を聞かせて下さってありがとうございます。わたくしはこれで失礼させて頂きます。あまりご無理はされないようお気をつけ下さい」
「お気使いありがとうございます。またお会いできるのを楽しみにしています」
 庭師が今度は憂いのない清々しい笑顔で応えてくれた事にフィリネグレイアの顔にも自然と笑顔が浮かんだ。
「こちらこそ。ではまた」