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 一時間ほど会話を楽しんだ後、菫は喫茶店を後にした。
 茜はまだ喫茶店を出るつもりがなかったので菫に別れを言い、テーブル席からカウンター席のいつも自分が座っている席に移った。
「菫ちゃんと楽しそうに何を話していたんだい?」
 カウンターに移った茜にマスターが話掛ける。
「最近あった事とか色々です。それよりマスター、菫さんに蘇芳さんの事話しましたね」
 簡単にマスターの問に答えると、逆に茜が硬い声音と表情でマスターに問う。それは疑問を解消するためのものではなく、確信を確固たるものにするためのものである。
「ん?ああ、話したよ。それがどうかした?」
 あっけらかんとしたマスターの反応に、茜は毒気が抜けてしまった。何故菫さんに話したのか追求しようと思っていたが、どうでも良くなってしまった。
「別に。いきなり菫さんに聞かれて驚いただけです。マスター、紅茶ください」
「はいはい」
 不貞腐れている茜にマスターは苦笑を浮かべた。
 茜はテーブルに膝をつき、水の入ったグラスを両手で持つ。
 グラスを触っている手の平が段々と冷えていくのを感じながら、茜は壁に掛けられている時計で時間を確認した。いつも通りなら、もうそろそろ来るころだ。
「そろそろ蘇芳くんが来るころだね」
 マスターの方に視線を向けると、彼も時計を見ていた。
 茜はマスターから視線を外し、窓から外を見る。蘇芳が来るだろう方向を彼女は眺めていた。
 今日は彼は来るだろうか。
 蘇芳の姿を思い浮かべて茜は胸が切なくなり、チクリと胸に痛みを感じる。煩わしさではなく、愛おしさから感じる痛み。
 思わず緩んでしまった表情を引き締め、外へ向けていた視線をカウンターの方へ向ける。
「君がこうして過ごせるのも、彼のおかげだね」
 そう言いながらマスターが茜の前に紅茶を出す。
 マスターの言葉に茜は共感しつつ、素直にマスターの言葉を認めるのは何となく気に食わないので、彼女は口を噤んだままでいた。
 持っているグラスを置いて今度は温かい紅茶が入っているカップを手に取る。左手はカップの取っ手を持ち、右手はカップに添えて紅茶を飲む。大好きな紅茶を飲むだけで、茜は小さく笑みを浮かべた。
「君の紅茶好きはお母さんの影響かな」
 カップから口を離して、茜はマスターを見る。
「緑茶とかを飲んでいるところは見た覚えはあるけれど、紅茶を飲んでいるところを見たことはあまりないな」
「君のお父さんが日本茶好きだからね」
 懐かしそうにマスターが言う。
 いつもそうだ。茜の両親について語るとき、マスターはすごく大事そうに話す。彼らのことが好きなのだと、聞いている人に伝わる程だ。それが茜には不思議だった。どうしてそこまで彼らを慕っているのか不思議には思うが、だからといってそれを自分から尋ねようとはしない。
 ただ、早く蘇芳に会いたいという思いが強くなった。

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