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 茜が蘇芳と美術館へ行ってから、幾日も経った頃。
 優しかった日差しはあっという間にギラギラと痛いものに変り、日中なら上着が無くとも快適に過ごす事の出来る様になった。
 暦は4月から5月に変っていた。

 暖かく心地良いという日差しが降り注いだのは数日間だけで、直ぐに痛みを感じるほどの熱を含んだものに変った。
 そんな日差しを避け、茜は木陰で絵を描いていた。
 白い画用紙に鉛筆を使って黒い線を引いていく。
 画用紙に集中している茜の表情からはまるで情熱が感じられず、どこか氷を連想させるような、人を寄せつけない雰囲気を醸し出している。だが、そんな彼女に物怖じせずに声を掛ける人がいた。
「こんにちは、茜ちゃん。今日も絵を描いているの?」
 画用紙と描いている対象しか見ていなかった茜は、声を掛けられて初めて近くに人がいた事に気づいた。
「あ、こんにちは、菫さん」
 この女性、長谷部菫は茜の持っているスケッチブックを覗き込む。茜が彼女へスケッチブックを差し出した。
 菫は茜からスケッチブックを受け取るとじっと茜が描いた絵を眺める。自分の絵が見られているという状況を全く気にせず、茜は持ってきた水筒を取り出して中の飲み物を飲む。
 描いている間は集中していたため全く気にならなかったが、飲み物を口に含んだ瞬間に喉の渇きを自覚し、水筒に入っていた飲み物を半分ほど飲んだ。
「茜ちゃん、これも色を付けないの?」
 茜は苦笑して色を塗るつもりはないと答えた。彼女は描いた絵のほとんどに色を塗ることをしない。気が向いた時に色鉛筆で塗ってみる事もあるが、簡単に色を入れるだけだ。
 茜の絵を見る人たちに何度も色を塗って完成させないのかと問われるが、茜はその度に気が向いた時に、と答えていた。だが、本当は一度「描き終えた」と思ってしまった作品に手を加えようとは少しも思っていない。終わってしまったものを更に他のものへ変えようという気持ちが茜の中には全くないのだ。
 終わってしまうものに対して終わらせてしまいたくないと強く願うことも、彼女はしない。
 あるがままに受け止めてしまうのは、彼女の悪いところだ。
 自分の問いに対しての茜のいつも通りの回答に、菫はそっかと軽く返しただけでそれ以上言い募る事はしなかった。
 菫は茜の描いた絵を見る事に満足したのか、一つ頷くとスケッチブックを茜へ差し出す。
「茜ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
 菫からスケッチブックを受け取ると、茜はそれを閉じて出していた荷物を片付け始めてた。
「今日はもう終わり?」
「はい。菫さんも喫茶店に行きますか?」
「もちろん。ご一緒させて頂きます」
 菫が浮かべている笑顔を見て、この人の笑顔はまるで太陽のように輝いて温かいなと茜は思った。
 近づきすぎてしまったら、焼け焦げてしまいそうだ。なんて、ありもしない事を考えた。

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