第4話 黒く染め上がる心

 学校まで迎えに来てくれた博都さんと合流し、彼の住まいまで移動した。リビングに入って一息ついた所で、博都さんが私に言う。
「なんだか今日は機嫌が良いな」
 リビングのソファに座っている私に、博都さんがお茶の入ったカップを渡してくれた。それを受け取りながら私は首をかしげる。
「そうですか?」
 彼に指摘されるほど、機嫌が良いのだろうか。自分ではよく分からず、カップを持っていない方の手を頬に当ててみる。
「ああ、学校からずっと嬉しそうだ。何か良い事でもあった?」
 私に質問しつつ、博都さんは私の隣に座った。
 良い事。
 いつもと変わらず、授業を受け、ほたるや他の友人と会話を楽しんだ。今日あった非日常的な出来事と言えば、あのクラスメイトとの会話ぐらいだ。
「良い事、というより、不思議な事ならありました」
「どんな事?」
 博都さんの問いに私は放課後の出来事をどのように説明したらいいのか少し考える。
「放課後、クラスメイトが教室に忘れ物を取りに来た際に少し会話をしたんです。その時、彼が私に“自分の事を知らないのか”と」
 ね、不思議でしょ?と博都さんに言うと、彼は苦笑した。
「あやめ、もう少し詳しく説明してもらわないと、どうしてそのクラスメイトがそんな事を言ったのか全く分からないよ」
 簡潔に出来事を説明しようとしたが、端折り過ぎたようだ。博都さんの言葉に、私はどう言ったらよいか再び悩む。
「彼の名前は知っていたんです。新しいクラスになった際にみんな自己紹介しましたし。でも、彼は私が彼の名前しか知らない事に驚いていたようで・・・何ででしょう?」
「つまり、そのクラスメイトは、自分の事を名前以外知らないあやめに驚いたんだ。すごい自信だな」
 博都さんの言葉に、私は目を見開いた。
 すごい自信と言うのはどういうことだろうか。
 何と言ったら良いか分からない私は、黙ったまま博都さんを見つめた。
「自分は多くの人に知られているって自覚しているということだろう?本当の有名人か、唯の自惚れか、どちらかだろうな」
 博都さんがどこか彼の事を軽蔑しているような嫌な印象を受けた。いや、嘲笑っているのか。その事が、私には引っかかった。
 どうももやもやした感情ががっしりと根をはり、引きはがそうとしても取る事が出来ない。
 思わず眉間に皺を寄せた。
 私が仏頂面になたのを見ていた博都さんは笑う。
「あれ、今日まで名前しか知らなかったのに、もうそいつと仲良しになったの?」
 顔は笑っているが、声音にはそれと違う感情が含まれている気がしてならない。その感情が何であるかはっきりと分からないが、決して良いものではないだろう。
 私は今ままでは危険だと感じた。このままでは自分にとってまずい状況になると。
 私は重く動きにくい口を無理やり開き、言葉を探しながら話す。
「どうでしょう。少し話をしただけですし」
「それじゃあ、どうしてさっきまで上機嫌だったんだ?」
 何故か、と問われ直ぐに脳裏に彼の笑顔が浮かんだ。
 どうしてだろう。あの笑顔を引きだしたのが自分だと思うと嬉しくなる。分からない、この感情が。
 ただ、この事を今言っては更に問い詰められるだけだと思い私は別のことを口にする。
「それは・・・久しぶりに苗に会えましたし、博都さんとふたりっきりですし」
 言っていて恥ずかしくなり私の声が段々と小さくなる。博都さんの顔を直接見て言う事が出来なくなり、顔を伏せて先程から自分の膝に居座って寝ている猫を見つめる。
 博都さんは大学に進学した際に、実家を出てアパートで1人暮らしを始めた。それから一年後、彼は友人に頼まれ一匹の子猫を引き取った。それがこの苗と名付けられた猫である。
「そういえば、2ヶ月ぶりくらいか、ここに来るの」
 博都さんの言葉に私は頷く。
「なのに、あやめのこと警戒しないな、苗は」
 優しい表情になった博都さんが私の膝の上で眠っている苗を撫でる。
  「他の人だとすごい警戒するんだよ、こいつ」
 博都さんの友人に対しては懐いても再び来た時には前回の事を忘れ、最初の状態に戻ってしまうらしい。それが最初の数回ならまだ納得できるがずっとこのような調子なのだという。彼の両親に対しても同じらしい。
 私も最初は苗に威嚇され今の状態になるまで数日費やした。だが、一度仲良くなってしまえば私が長期間訪れなくても苗は私にすり寄って出迎えてくれる。現に着いたばかりの私の膝の上で気持ち良さそうに寝ているわけで。
 だから、博都さんが苦笑しながら話した内容に、私は目を見開いて驚いた。
「そうなんですか」
 驚きが過ぎ去ったあと段々と嬉しさで心がほっこりと温かくなっていく。
 自然と笑みが浮かんだ。
「あやめの側に居ると落ち着くから」
 さらりと博都さんが言った言葉。最初何を言われたのか分からず、私はぽかんと彼を見つめていた。だが、その意味を理解した瞬間、私の顔は一気に熱くなった。
「え・・・と、あ、ありがとうございます」
 何と言ったら良いのか分からないが一応褒められたと解釈し、私はお礼を言う。
 言ったあとで何やら言葉を間違えたような気がしたが、まあ良いかと深く考えずに流す。
 博都さんを見ていることが出来なくなった私は気持ち良さそうに眠っている苗をじっと見つめた。
 沈黙と共に博都さんの視線が突き刺さる。
 どうにかして今の状況を好転させたいが良い案が一向に浮かばない。何か話題となるものはないか視線をさまよわせる。
 ふと、目に留まったのはテーブルの上に無造作に置かれている郵便物。その中にいちまいのはがきが紛れている。そのはがきは裏面に写真が印刷されており私は興味を持った。
「このはがきは?」
 彼に質問してみる。
「これ?見てみる?」
 そう言って博都さんは苗から手を離しテーブルからはがきを取って私に見せる。私はそれを受け取り写真を見ると生まれたばかりであろう赤ちゃんが映っていた。
 その下に書かれている差出人を見て、私は息をのんだ。
 数年前、博都さんに紹介されたあの女性の名前が書かれていた。
 久しぶりに彼女の存在を意識した。
 幼子の可愛らしい顔を見て心和むはずなのに、私の心はひどくざわつく。
 何か言わなければ。無言のままでいては不審に思われてしまう。何故か博都さんに自分の動揺を覚られてはいけないと思った。
 だから、私は緊張で以上に乾く口を無理やり動かす。
「可愛らしいお子さんですね」
 顔が引きつらないよう、余計な事を考えてはいけない。自分に言い聞かせながらはがきを見つめる。ざわついた心を静め、私は博都さんにはがきを返した。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
 私からはがきを受け取った博都さんは、優しい表情ではがきの写真を見る。
 その表情を見ていられず、私はまだ自分の膝に居る苗を見た。
 触り心地良い毛並みを撫でる。
 貴方は何故そんなに優し表情でその写真を見るのですか。
 赤子が可愛らしいからですか?
 貴方が最も愛する女性が生んだ子だからですか?
 聞く事など出来るはずもなく、私の心に黒いしみがぽつりと落ちた。
 苗を撫でる手が止まる。
 これ以上考えてはいけない。
 私は次々と生まれてくる考えを外へと追い出そうとした。だけど、上手くいかない。このままではいけないと、私は悪い方へ行く考えを振り払うために行動を開始した。
「夕食を作りますね」
 苗を膝から下ろし、私は台所へと移動する。まだ甘えたりないのか、苗が私にすり寄りながら付いて来た。
「危ないから博都さんとリビングで待っていてね。はい、博都さん」
 台所に入る前に苗を持ち上げ、博都さんに渡す。私に持ち上げられぷらぷらと揺れながら、苗は非難するように一声鳴く。そんな苗を博都さんは苦笑しながら受け取ってくれた。
 はがきはテーブルの上に置いてある。それが目につき、私は視線を逸らす。
 直ぐに私は台所に入り、夕食を作り始めた。
 博都さんは自炊をするので、材料がたいていそろっている。彼から自由に使って構わないと言われているので、ある物を見つくろい頭の中でメニューを考える。
 作業に集中する事で、私は自分の内に出来た黒いしみの存在を忘れることに成功した。

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再び2人っきり。でも甘い雰囲気にはなりません、させません。まだ早いのよー。ニャンコが出てきて、何やら不安要素も出てきて、これからどうなる事やら。