第2話 思い出の場所へ
婚約が成立した数日後、博都さんから連絡が来た。
私の携帯電話に彼から電話がかかってきて、今度の休日に会えないかという誘いを受けた。当然私はすぐに了承し、当日午後から彼と会う約束をした。
幼いころはよく公園などに二人で出掛けたものだが、流石に彼が高校に上がった頃からそういう事も無くなっていった。最後に彼と2人だけで出かけたのは去年の夏祭り以来だ。
久しぶりで博都さんと2人で出掛けることになるので、私は浮き立つ心を抑えるのが難しかった。
約束の日までの間、何を着て行こうか髪形はどうしようかなどを悩みながら過ごした。
そして、当日。
昔からそうだったように、博都さんが私の家まで迎えに来てくれることになっている。
準備が終わり、自室で持ち物の最終確認をしているとチャイムが鳴った。驚いて時計を見ると、約束の時間の10分前になっていた。急いで下へ降りて玄関に向かうと、母が来客の対応をしていた。
来客は当然博都さんで、やって来た私に気付いた彼は、母に向けていた笑顔をこちらに向けて私へ声をかける。
「こんにちは、あやめ。少し早いけど準備が出来てるなら、行こうか」
「はい、大丈夫です。母様、行ってきます」
急いで靴を履き、母へ出かける挨拶をする。
「気を付けていってらっしゃい。博都さん、あやめを宜しくお願いします」
「はい、夕方までには戻ってきますので。行ってきます」
二人で玄関を出て、彼の車に乗る。シートベルトを締め、出発の準備を全て完了させてから、今日の目的地について問いかけた。
「今日はどこへ行くんですか?」
日時と待ち合わせ場所は決めていたが、肝心の目的を聞いていなかった。
「緋華里さんの所に行く時によく遊びに行った公園」
上谷戸の家から10分程歩いたところに山の中に公園がある。一度私の父に連れて行ってもらってからは二人で頻繁に遊びに行っていた。
「そうですか、あの公園に」
私は口を閉じた。何故、彼はあそこに行くことにしたのだろうか。あそこに私と共に行くことに何か意味があるのだろうか。
彼も、私も黙ってしまい、車内には沈黙が落ちる。
この後、私たちは一言もしゃべらずに目的地へ向かった。といっても、途中で車の揺れと単調な風景のおかげで私が眠ってしまったせいなのだけれど。
私はゆっくりと、瞼を開いた。
「おはよう、あやめ」
博都さんのその言葉に、私は失態を犯した事を覚った。
「ごめんなさい!私、寝てしまって」
運転している人の隣りで寝てしまうなんて失礼な事をしてしまい、私は顔が熱くなる。
「謝る事はないよ」
やんわりと言う博都に目線を向けると、彼は優しくあやめを見ていた。
「あやめは昔から、乗り物に乗ると夢中で景色を見るか、寝るか、どちらかだったな」
彼に見つめられたうえに子供のころからの癖を博都に指摘され、更に顔に熱が集まっていく。両手を頬に当てて顔に集まった熱をとる。
「さて、展望台に行こうか」
公園内の小高い所に展望台がある。そこから見える景色があやめは好きだった。
二人で誰もいない展望台までやってくると、強い風が吹いた。
風にあおられた髪を押さえながら景色を眺める。
海の方角から山に向かって吹く風を感じながら懐かしい風景を堪能していると、おもむろに博都さんが話し始めた。
「あやめは俺との婚約をどう思っている」
彼から発せられた言葉を、私は一瞬理解できなかった。
「どう、とは」
うまく答えられない私に向かって彼は言葉を続ける。
「あやめは俺との結婚をどんな風に受け止めている?俺にとって君との婚約は、果たすべき役目のためだ」
彼が何を言いたいのかなんとなく覚った私は、声が震えないように体に力を入れて話す。
彼が話す理由に私の心は堅く閉じていく。この人の心は今もなお、かつての恋人のものなのだと実感した。それでも、彼が自分と共に歩んでくれるという事だけで、私は感謝しなければならない。
彼を縛ってしまっているのは、私なのだから。
博都さんの言葉を聞いて、私はゆっくりと視線を彼から外し、自分の足元を見る。彼に対して何と答えれば言いのか。それが分からなくて、言葉が出ない。
何も言えない自分に苛立ちを感じて眉間にしわを寄せたところで、博都さんが再び口を開いた。
「やっぱり、まだ風が冷たいな。風邪をひく前に車に戻ろう」
優しく言う博都さんに私はうなずいた。
歩き出した彼に続こうと一歩踏み出そうとしたが、その前に手が差し出された。何だろうと顔を上げ、博都さんの顔を見ると、彼は笑みを浮かべていた。
「足場悪いから」
先程の態度と打って変わった彼の優しさに私は戸惑う。
「ありがとうございます」
でも、私は心を押し殺し、彼の手に自分の手を乗せる。
彼に手を引かれながら、私は昔を思い出した。
幼い頃もこうして博都さんに手を引かれて、色々な所を歩いた。あの頃とは違う、たくましくなった彼の背中を見て、泣きたくなる。
どうか、いつまでも、私という存在が貴方の側にいる事を許して欲しい。もしそれが許されなくなってしまったら、誰に手を引いてもらえば良いのだろうか。1人で歩くには、側に誰かがいてくれる温かさを、心地よさを知ってしまった。
今までしっかりと踏みしめることが出来た足場が一気に脆くなり、段々と崩れていく。あっという間に私の足元まで崩壊がやってきて、足場と共に自分が落ちていくような感覚を覚える。
思わず、私は足を止めた。
足を止めてしまったため、彼の手の中に包まれていた私の手は、するりと抜けた。
「あやめ?」
振り返りどうしたのかと問う博都さんに、私は何も答えられない。何も言えない私に彼は呆れるでもなく、私と向かい合うように立つ。
「今ここで断っても良いんだ。あやめの人生はあやめが決めて進むものだから」
博都さんは、私が彼と歩む人生を手放したいとでも思っているのだろうか。そう思われているなんて、私は泣きそうになる。
「断るなんて、そんなことはしません。私は許される限り、今の自分の立場を手放すことはありません」
私の答えに、博都さんは浮かべていた笑みを一瞬で消し、私の手をとって歩き始めた。引っ張られた私も正常に歩き出す。
何故博都さんがその表情を消して無言で歩き出したのか、私には分からない。だが、彼が私の手を引いて歩いてくれている。それだけで、私は先程の答えが許されたのだと感じた。
私の携帯電話に彼から電話がかかってきて、今度の休日に会えないかという誘いを受けた。当然私はすぐに了承し、当日午後から彼と会う約束をした。
幼いころはよく公園などに二人で出掛けたものだが、流石に彼が高校に上がった頃からそういう事も無くなっていった。最後に彼と2人だけで出かけたのは去年の夏祭り以来だ。
久しぶりで博都さんと2人で出掛けることになるので、私は浮き立つ心を抑えるのが難しかった。
約束の日までの間、何を着て行こうか髪形はどうしようかなどを悩みながら過ごした。
そして、当日。
昔からそうだったように、博都さんが私の家まで迎えに来てくれることになっている。
準備が終わり、自室で持ち物の最終確認をしているとチャイムが鳴った。驚いて時計を見ると、約束の時間の10分前になっていた。急いで下へ降りて玄関に向かうと、母が来客の対応をしていた。
来客は当然博都さんで、やって来た私に気付いた彼は、母に向けていた笑顔をこちらに向けて私へ声をかける。
「こんにちは、あやめ。少し早いけど準備が出来てるなら、行こうか」
「はい、大丈夫です。母様、行ってきます」
急いで靴を履き、母へ出かける挨拶をする。
「気を付けていってらっしゃい。博都さん、あやめを宜しくお願いします」
「はい、夕方までには戻ってきますので。行ってきます」
二人で玄関を出て、彼の車に乗る。シートベルトを締め、出発の準備を全て完了させてから、今日の目的地について問いかけた。
「今日はどこへ行くんですか?」
日時と待ち合わせ場所は決めていたが、肝心の目的を聞いていなかった。
「緋華里さんの所に行く時によく遊びに行った公園」
上谷戸の家から10分程歩いたところに山の中に公園がある。一度私の父に連れて行ってもらってからは二人で頻繁に遊びに行っていた。
「そうですか、あの公園に」
私は口を閉じた。何故、彼はあそこに行くことにしたのだろうか。あそこに私と共に行くことに何か意味があるのだろうか。
彼も、私も黙ってしまい、車内には沈黙が落ちる。
この後、私たちは一言もしゃべらずに目的地へ向かった。といっても、途中で車の揺れと単調な風景のおかげで私が眠ってしまったせいなのだけれど。
私はゆっくりと、瞼を開いた。
「おはよう、あやめ」
博都さんのその言葉に、私は失態を犯した事を覚った。
「ごめんなさい!私、寝てしまって」
運転している人の隣りで寝てしまうなんて失礼な事をしてしまい、私は顔が熱くなる。
「謝る事はないよ」
やんわりと言う博都に目線を向けると、彼は優しくあやめを見ていた。
「あやめは昔から、乗り物に乗ると夢中で景色を見るか、寝るか、どちらかだったな」
彼に見つめられたうえに子供のころからの癖を博都に指摘され、更に顔に熱が集まっていく。両手を頬に当てて顔に集まった熱をとる。
「さて、展望台に行こうか」
公園内の小高い所に展望台がある。そこから見える景色があやめは好きだった。
二人で誰もいない展望台までやってくると、強い風が吹いた。
風にあおられた髪を押さえながら景色を眺める。
海の方角から山に向かって吹く風を感じながら懐かしい風景を堪能していると、おもむろに博都さんが話し始めた。
「あやめは俺との婚約をどう思っている」
彼から発せられた言葉を、私は一瞬理解できなかった。
「どう、とは」
うまく答えられない私に向かって彼は言葉を続ける。
「あやめは俺との結婚をどんな風に受け止めている?俺にとって君との婚約は、果たすべき役目のためだ」
彼が何を言いたいのかなんとなく覚った私は、声が震えないように体に力を入れて話す。
彼が話す理由に私の心は堅く閉じていく。この人の心は今もなお、かつての恋人のものなのだと実感した。それでも、彼が自分と共に歩んでくれるという事だけで、私は感謝しなければならない。
彼を縛ってしまっているのは、私なのだから。
博都さんの言葉を聞いて、私はゆっくりと視線を彼から外し、自分の足元を見る。彼に対して何と答えれば言いのか。それが分からなくて、言葉が出ない。
何も言えない自分に苛立ちを感じて眉間にしわを寄せたところで、博都さんが再び口を開いた。
「やっぱり、まだ風が冷たいな。風邪をひく前に車に戻ろう」
優しく言う博都さんに私はうなずいた。
歩き出した彼に続こうと一歩踏み出そうとしたが、その前に手が差し出された。何だろうと顔を上げ、博都さんの顔を見ると、彼は笑みを浮かべていた。
「足場悪いから」
先程の態度と打って変わった彼の優しさに私は戸惑う。
「ありがとうございます」
でも、私は心を押し殺し、彼の手に自分の手を乗せる。
彼に手を引かれながら、私は昔を思い出した。
幼い頃もこうして博都さんに手を引かれて、色々な所を歩いた。あの頃とは違う、たくましくなった彼の背中を見て、泣きたくなる。
どうか、いつまでも、私という存在が貴方の側にいる事を許して欲しい。もしそれが許されなくなってしまったら、誰に手を引いてもらえば良いのだろうか。1人で歩くには、側に誰かがいてくれる温かさを、心地よさを知ってしまった。
今までしっかりと踏みしめることが出来た足場が一気に脆くなり、段々と崩れていく。あっという間に私の足元まで崩壊がやってきて、足場と共に自分が落ちていくような感覚を覚える。
思わず、私は足を止めた。
足を止めてしまったため、彼の手の中に包まれていた私の手は、するりと抜けた。
「あやめ?」
振り返りどうしたのかと問う博都さんに、私は何も答えられない。何も言えない私に彼は呆れるでもなく、私と向かい合うように立つ。
「今ここで断っても良いんだ。あやめの人生はあやめが決めて進むものだから」
博都さんは、私が彼と歩む人生を手放したいとでも思っているのだろうか。そう思われているなんて、私は泣きそうになる。
「断るなんて、そんなことはしません。私は許される限り、今の自分の立場を手放すことはありません」
私の答えに、博都さんは浮かべていた笑みを一瞬で消し、私の手をとって歩き始めた。引っ張られた私も正常に歩き出す。
何故博都さんがその表情を消して無言で歩き出したのか、私には分からない。だが、彼が私の手を引いて歩いてくれている。それだけで、私は先程の答えが許されたのだと感じた。
神社の名前は七社。展望台は山の中にありますです。夏はそこへ行くまでに虫がいっぱいよ。