おうぎ


「聞いて下さい、透!ミケ様が、みけ様がついに奥義を修得なさいました!」
 そう叫びながら、温室に由奈が勢い良く入って来た。
 名前を呼ばれた透は丁度昼食後のお茶を楽しんでいたのだが、聞こえた言葉の内容に思わず噴き出しそうになった。危ない危ない。
「色々気になるところがあるが、とりあえずここに座って落ち着いて、由奈」
 自分の座っているソファーの隣りをポンポンと叩き、座るよう促す。
 嬉しそうに座る由奈の前に、透が飲んでいたのと同じお茶が出される。
 持ってきた人物を見ると、棚部姉妹の妹、沙那芽だった。
「ありがとうございます。沙那芽ちゃん」
 由奈がお茶のお礼を言うと、沙那芽は嬉しそうに頬を染めて微笑む。すると再び温室の扉が開いた。そちらを見ると恵が立っていた。どうやら昼にあると言っていた部活の集会が終わったのだろう。沙那芽は直ぐに彼のお茶を準備するため、道具一式が置いてある所に踵を返した。
 その間に由奈はお茶を飲み、先程の興奮を鎮める。
 彼女の様子をお茶を飲みながら見ていた透は、カップをテーブルの上に置き、先程の彼女の発言について聞く。
「で?ミケ様がどうしたんだ?」
 透と同じようにカップをテーブルの上に置いた由奈が、目を輝かせ言う。
「ついにミケ様が奥義を修得なさったんです!」
 先程彼女が温室に入って来た時と同じ言葉と同じだ。奥義とは何だろう?透にはさっぱり分からなかった。
「ちょっとまった。その、奥義とやらは何なんだ?」
 透の質問に由奈は不思議そうな、きょとんとした表情になる。
「奥義は奥義ですよ?国語辞典の一つでは学問・技芸の最も奥深いところというと意義をつけられている言葉です」
 親切ご丁寧に言葉の意味まで教えてくれた由奈だが、透が欲しい情報はそれじゃない。
「あのな、俺が聞きたいのは、ミケ様がどのような奥義を修得したのかという事だ」
 その言葉に納得したのか、由奈は自分の両の掌を合わせた。
「ああ、すみません。えっとですね、実は数週間前春樹の御家に皆で御邪魔したではありませんか」
 いきなり数週間前の話になってしまった。まあ、彼女が意味も無くこの話をするはずがないので、相槌を打ちながら先を促す。
「その際、春実お母様が見せて下さったんです!モモさんの可愛らしい奥義を!!」
 春実お母様とは春樹の母親の事であり、モモは春樹の家で飼っているペットの名前である。
「そう、奥義御手!!あの美しい肢体を優雅に動かし、人が差し出した手に乗せる美しい前足。…はふぅ、今思い出してもうっとりします」
 由奈の話を聞いた透は脱力した。
 彼女が言っていた奥義とは、ペットに教えればそのほとんどが修得出来る、あのポピュラーな芸だったなんて。
「で、それをミケ様が今日出来るようになったんだな?」
 そう問いかけると、うっとりとしていた由奈はその表情を輝きに満たして肯いた。
「ああ、あの時、ミケ様がわたくしの手にその御手を載せた時の感触を思い出すと顔がニヤけて仕方ありません」
 自分の頬を手でぐるぐるとこねながら喋る。
「由奈、ストップ。あんまりそれやると沙伊香が暴走するから」
 以前由奈が同じ事をした時、由奈を崇拝している棚部姉妹の姉、沙伊香が騒いだ。
 周りに恐怖を植え付けるほど。
 後に落ち着いた彼女に理由を聞くと、可愛過ぎる由奈の行動で受けた自分の中の感情を上手く昇華出来ず、暴走してしまったとのことだ。
 その時、透は自分の中の棚部姉妹の認識を改めた。
 彼女らは他の生徒に恐れられる、氷の様な雰囲気をまとう孤高の存在である死神姉妹ではなく、唯の由奈狂であると。
 しかし、狂っていると認識している時点で「唯の」ではないと普通なら思うだろう。しかし、透はそう認識したのだ。



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