バンッと大きな音を立て扉を開けて入って来た俺に、部屋の中に居た少女は目を丸くして驚いた。驚かせたことへの謝罪もせず、俺は目的の場所へと向かう。
 もう限界だ。
 視界が揺れて、身体も揺れる。
「あの、大丈夫ですか?」
 俺の様子が気になったのだろう。少女が駆け寄ってくる。でも、彼女にかまっている余裕は既に俺の中に無い。
「もう限界」
 辛うじて吐き出すと俺は目的の場所、ソファにダイブするように倒れこんだ。


 ゆっくりと浮上する意識の中で、俺は良い匂いが近くで漂っている事に気付く。
 ああ、これは。
 その正体が分かった時、俺の腹は盛大に音を立てて空腹を主張した。


 何やらとてもみっともない事をしてしまった。俺は眉間に皺を寄せながら目を開け、腕を額に付け溜息を吐く。ああ、嫌な事を思い出した。
 身動ぎした事で俺が起きたのを覚ったのだろう、おずおずと自信なさげにかけてくる声が聞こえた。
「あ、あの。目が覚めましたか?」
 声のする方へ向くと、少女がこちらを見ていた。そうか、彼女が。
「あんた、飯作ったの?」
「え?はい、やはりいけなかったでしょうか」
 不安そうにこちらを見てくる少女の反応に、俺は手を振って否定を表した。
「いや?勝手に作って食べてろって言ったのは俺だし。それで何やってんだ!って怒ったら馬鹿だろ、俺」
 その言葉にどう返したら良いものかと、再び少女が困っている。
「あんた、何作ってんの?」
「えっと、野菜のポタージュを作ってました。他にもサラダと鶏肉と野菜の炒め物なども作りました」
 俺は身体を起こし、ソファに座りながら身体を伸ばしながら少女の言葉に耳を傾ける。
「そっか。俺の分とか、ある?」
「はい!」
 何故か笑顔で返事をする少女。その笑顔に一瞬かぶった人物の事を振り払うように、俺は目を閉じた。
「じゃ、食おうか。俺の腹、さっきから鳴りっぱなしだし」
 その言葉に少女はくすりと笑みをこぼす。
 俺は立ちあがり上着を脱ぎソファに放り投げる。少女の作った夕食をテーブルの上に準備しようとしたが、テーブルの上には既に殆ど準備が整っていた。
「あれ。あんた最初から俺と食べる気だった?」
「はい。…いけなかったでしょうか」
 俺の言葉に少女は目に見えて落ち込んでしまった。言葉を間違えてしまったと思った俺は、頭をかきながらどうしたものかと考える。
「いや、ありがとう。人と食べる飯は久しぶりだ」
 笑顔で言うと、少女は安心したようで胸に手を当てて息を吐く。その様子から少女が緊張していた事を覚った。これ以上俺が何を言っても少女を追い詰めるだけだろうと判断し、テーブルの席に着く。
 人の機嫌を気にしないといけないのは面倒だ。
 俺が席に着くと、直ぐにポタージュが差し出された。礼を言ってそれを受け取り、少女が席に着くのを待ってから俺は食事を開始した。
「いただきます」
 俺が食事の前に手を合わせて言うと、少女は不思議なものを見た、といった風に俺を見つめる。
 最初その反応を怪訝に思った俺は、直ぐにその理由に気が付いた。だが、あえて自分から説明することなく食事に手を付ける。
「あの」
 俺は食事の手を止めて少女を見る。
「何」
「食事の前の祈りはしないのですか?」
「しない。礼を述べるだけだ」
 少女の疑問に答えて俺は食事を再開する。昨日の夕方知り合いの手伝いの報酬として押しつけられた胡桃入りのパンに噛り付いた。ふむ、一旦炙ったようで香ばしい香りがする。
「礼を述べるというのはどういう事でしょうか。女神に日々の恵みを感謝する祈りを捧げてから食事をするのが普通だと思っていたのですが」
「一般的な家庭ではそうだろうな。でも俺は考えが違うんだ。心のない祈りを捧げられても迷惑だろ」
 これ以上の質問に答える気が無いので俺は食事を再開する。薄々感じていたが、少女は人の気配に敏感な様だ。どうやら予想通りのようで、案の定、少女は納得していないようであるものの、俺がこれ以上質問に答える気が無いと分かったようで更に質問してくる事はなかった。
 それ以降、特に会話も無くもくもくと食事を進めていく。一人で食べる食事は味気ないと良く言われるが、俺は今の状況の方が大変食事が味気ないものに感じる。
 だからといって、自分からこの現状を打開しようと自分から話を振る様な気を遣う気力が、2,3時間程睡眠をとっただけで癒えるわけがない。そう自分に言い訳をして努力を怠ろうとしたが、そんな事をしてしまっては後で後悔するかも、と考え直してとりあえず自分にフィルターを掛けてみる。
「そう言えば、あんたの名前聞いてなかったな。俺の名前はあいつから聞いているか?」
 俺の問いに彼女は首を振った。ならば、と俺は自己紹介を始める。
「俺はカイ。傭兵として働いている。あんたは?」
 食べていた物を咀嚼して飲み込むと、少女は口を開いた。
「私はファイムと呼ばれています」
「ファイム…また何とも大層な名前だな」
「はあ」
 何故俺がそのような事を言ったのか解らないと言う感じで少女は首をかしげた。どうやら彼女は自分の名前が聞いた相手にどれほど衝撃を与える分かっていないようだ。
「あんた、神官なのに偉大な女神の御使いの名を知らないのか」
「いえ、この名が神の御使いの名である事は知っていました。ですが驚かれるほどのものであるとは知らなかったので」
 いつの間にか止まっていた食事を再開させながら、少女の様子を窺う。彼女は考え込んでいるようで、食事を完全に停止していた。
 彼女が考えていることの答えが出るまで、とりあえず口をはさまずに食事を続ける。うん、自分で作るより美味いかも。
「この名は旅をするにはふさわしくないでしょうか」
 少女から出て来た言葉に、食事を堪能していた俺その動きを停止させた。何故先程の会話でそのような言葉が出てくるのだろうかと考える。そして俺は一つの答えを思いつく。
「まあ、この国は熱心な信者ばかりというわけじゃないしな。もしかしたらトラブルに巻き込まれる可能性もないと言い切れない」
 暗に教会に対立する者がいる事を言う。きっとこの子も教会から教えられているだろうが、伝え聞いているだけで実感が伴っていないだろう。
 彼女がどう出てくるか観察しながら答えを待つ。
「この名が問題の要因になりうるなら、私は別の仮名をこの身に与えなければなりません」
「つまり、少しでも安全に旅をしたいと」
 俺の言葉に頷く少女。ならば何故護衛が俺一人なんだ、騎士団に守らせろよ。なんて事も思ったが、まあ、今さら言っても仕方がない。
 深い溜息を吐いて、俺は少女を見つめる。彼女は目線を逸らさず真っ直ぐ見つめ返してきた。
「わかった、じゃあ、俺はあんたを何と呼べば良い」
 少し悩んで少女は困ったように俺を見つめる。何だ、どうした。
「貴方に名付けて頂けないでしょうか」
 少女の結論に俺は呆れた。そう来たか。
 本当に自分で考える事をしない目の前の少女に嫌気がさす。それを表に出さないように注意しながら少しの間考える。
「じゃあ、あんたは旅に出たらイナと名乗れ」
「イナ…はい、分かりました」
 自分の名を勝手に決められたのに素直に受け取る彼女は純粋なのか、自我が無いのか。
   俺も少女も静かに食事を始める。静かになったのを良い事に、俺は明日からの旅の予定を頭の中で考える。
「明日はエイアと一緒に旅支度するんだよな」
 昼に告げられた事柄を少女に再確認すると、少女はしっかりと頷いた。少女の態度からこの事は事前に言われていたのだろうと判断する。
「時間とか聞いてるか?」
「はい、明日の10時に中央市場入口集合と」
 やはり時間も場所も事前に決まっていたようだ。だったら俺を巻き込まず、自分たちだけで準備を済ませておいて欲しいものだ。
「分かった。じゃあ9時半にはここを出るから」
 俺は自分の分を食べ終え、食器を持って立ち上がる。流し台で食器をかたずけ始めた。
 調理に使った道具類は既に少女が洗ってくれていたので、俺は自分の使った食器を洗う。
「食べ終わったら食器を流しに入れてくれるだけで良い」
 じっとこちらを見たままの少女に告げた後、俺は寝室へ向かう。
 さて、最近気温もあたたかくなってきたし、掛け布団一枚でも風邪はひかないだろう。寝具の上に畳んでおいた毛布を1つ取り居間に戻る。
 持ってきた毛布をソファの上に放り投げ、代わりに上着を手に取り、着る。
「これから出かけるんですか?」
「ああ。休むなら寝室使って。それとこの家にあるの自由に使って良いから。武器以外はな」
 まだ食事が終わらない少女へ物騒な言葉を残して、俺は家を出た。
 
 
 家を出て狭い道を通り、大通に入ると反対側に伸びている道へ素早く移動する。
 何回も道を曲がり、細い道を通り、数十分ほどかけて目的地へとたどり着いた。
 十分注意して見ないと見落としてしまうように隠された扉を叩く。すると中から小さく反応があったので素早く扉を開けて中に入った。
 中は暖かく、オレンジ色の光が部屋を照らしている。室内には女の仲介者が1人、椅子に座って茶を飲んでいる。
「あら?あなただったのですか。このような時間に訪れるなど珍しいですね」
 仲介者の問いには答えない。毎度来るたびに思う。この女は苦手だ。
「昨日受けた依頼だが、明後日から長期間旅に出る事になったからキャンセルしておいてくれ」
 仲介者方には行かず、扉の横で壁に寄りかかりて腕を組んだ。
「まあ、珍しい。どんな仕事でもきっちり終わらせるあなたが、ねえ」
 何か探るように見てくる仲介者に、俺は眉間にしわを寄せ、不快である事を伝える。
「依頼破棄、確かに承りました」
 これ以上突っつくとまずいと直ぐに分かったのだろう、嫌味なほど良い笑顔を浮かべた。
「それで?今日の予定は以上ですか?」
「ああ」
「残念です。最近全然寄っていって下さらないですね」
 不満を言っているが、彼女の態度からは全くそのような印象を受けない。本気なんだか、冗談なんだか、判断しにくい。
「頼んだぞ」
 彼女の返答を待たず俺は外に出た。
 静かに扉を閉め、溜息を1つ。
 これからあの少女の居る家に帰らなければならないと思うと憂鬱だが、知り合いの所に行くのは億劫だ。
 星が見えない夜空を見上げ、俺は再び深く息を吐いて歩き出した。
 



 top