それはそれは、良く晴れた日のこと。




 いつもの日常通り、俺は朝のコーヒーを堪能していた。だが、俺のそんなささやかな幸せの時間を妨害する訪問者がやって来た。今日の予定を思い出してみるが、誰かが来るという連絡を受けていない。
 急な用件か。
 と適当に予想をつけながら扉をあけると、そこには旅人のような格好をした男が一人。
 思わず開けた扉を閉めようとした。しかし、それは突然やって来た男によって阻まれる。
 数秒抵抗したが、扉を閉める為下げていた視線を上にあげた時、視界に入った男の表情に、このまま扉を閉める事は出来ないと覚った。男は綺麗な顔に笑顔を浮かべつつ怒りオーラがダダ漏れの状態で、無言で扉を閉めようとする俺の行動を阻止していたのだ。
 泣く泣く抵抗を諦め、男を中に招き入れることに。
 そして今、部屋の中には家主の俺と、男と、少女の三人が居る状態なのである。
「で?俺への依頼は、その女の子を聖域まで送り届けることなんだな」
 その言葉に男は至極真面目な顔で肯いた。
 俺は依頼の内容に思わず頭をかく。久しぶりにやって来たこいつは、なんて依頼を持ってくるんだか。
「何で、それを俺に依頼する?教会にはお前の所属する騎士団があるじゃないか。神官の旅の護衛なら、お前らで十分出来るだろうに」
「これは彼女の希望なんだ」
 その言葉にずっと黙ったままの神官であろう少女を見ると、彼女は俺が出したお茶の入ったカップを持ち、じっと中を見詰めていた。そこから目を離した彼女はこちらを見る。美しい青い瞳の色をした少女だ。
「君はどうして騎士じゃなくて、俺みたいな便利屋に護衛を頼みたいのかな?」
 俺の聞き方が勘に触ったのだろう、男は眉間に皺を寄せてとっつき難い表情を作る。まあ、こいつみたいのがゴロゴロ居る騎士団の護衛は息がつまりそうで嫌だろう。俺でもお断りだ。
 そんなくだらない事を考えている間に少しの間が出来たが、それでも少女は口を開かない。
 しびれを切らした俺は決断する。どうせこの話を聞いた時点で、断れないこと決定なんだ。それなら絞り取れるだけコイツから絞り取ってやる。
「まぁ、理由は良いか。この件引き受ける」
 依頼の拒否を諦めた俺は、座っているソファに深く身を沈めた。
 何故だろう。数分しか話していないはずなのに、ひどく体力が削られたような疲労感があるのは。
「宜しく。君なら快く引き受けてくれると思ってたよ」
 いけしゃあしゃあと良く言うわ、この男。笑顔で言い切りやがったよ、畜生。
「了承するしかないだろう」
 はあ、と溜息をつきながらビジネスの話へ思考を移行させ、体を起こす。
「旅費はそっち持ちか?」
「ああ。だが、分かっているよね」
「・・・無駄遣いなんかしねぇよ」
「それなら良いが」
 小さい子供でもないし、何故そのような心配をされねばならんのだ。
 子供のような指摘をされておきながら不貞腐れる。
「おねだりされたからって、何でもかんでも与えちゃ駄目だよ」
 ああ、そっちか。
「お前ねぇ…ま、いっか。目的地までまっすぐ向かえば良いのか?」
「それは、全て彼女に任せている」
 男は隣の少女に視線を向ける。その眼差しに、少女は申し訳なさそうに、見ている方が少し切なくなる笑顔を浮かべた。
 それが嫌に勘に触った俺は思わず口からとんでもない言葉が出た。(俺的に)
「一緒に行くならそんな顔するな」


 少しの間。


「だ、そうだよ?」
 俺の発言が面白かったのか、男は腹が立つような笑みをその顔に浮かべて少女に言う。
「あ、はい。気を付けます」
 少女は男に促され、素直に俺の言葉に同意した。
 まあそれは別に良いのだが、初めて少女が発した言葉がこれか。泣けるね。
「うん、気を付けてくれると…お兄さんうれしいな」
 あ、本当に泣きそうだ。
 目頭を押さえて項垂れる。
「さて、そろそろ帰らないと」
 おお、帰れ帰れ。
 男が座っていたソファから立ち上がり、帰り支度を始めた。
「では、今日から彼女をお願いするね。旅に出る前にちゃんと彼女の旅支度の準備をしてあげてくれ」
「はぁ!?何だそれ!ちょっ、お前そこまではそっちで面倒見ろよ」
 さらりと帰り際に爆弾を投下して行こうとした男を、驚きで大きくなった声で止めに入る。
「え?いやだなぁ、男所帯が女の子の旅支度なんかできるわけないでしょ。それに、そんなことしたら彼女が可哀想だろ?」
 はっはっはっと笑いながらこう切り返してきた。ふざけるのも大概にしやがれこの野郎。
「いや、お前んとこにも女いるだろ!カリナとかお前の嫁とか!…いるだろ!」
 言いつのるが、相手は綺麗に受け流す。再び笑顔で。
「うんうん、うちの奥さんに明日一緒に準備してもらえるよう頼んでおいたから万事OK!心配無用!あ、でも奥さんに手ぇ出したら容赦しないから」
「大丈夫、あいつを嫁にもらえるのはお前だけだ。安心しろ」
 笑顔で切り返してくる男の反応に俺は疲れ、投げやりに答える。
 いや待て。こいつ、奥さんに頼んでいると言わなかったか!?
「てか、頼んでるなら俺要らないだろ!お前が一緒に行けばいいじゃないか」
「一緒に行きたいのは山々だが、生憎と俺は仕事が入ってね。だから君を護衛として付けるんだ。宜しくね」
 言いながら男は外へ続く扉に向かう。俺は男に待ったをかけるが、そんなこと気にせず強引に自分の要求をこちらに飲ませてきた。
「大丈夫、その分の報酬もちゃんと出るから。君も自分の装備を新調すると良いよ」
 ばたん。
 そして、部屋に俺と少女が残されたわけだ。
 畜生、あいつ今の俺の状況をしっかり把握してやがる。腹が立つほど良い性格してるよ、ホント。
 溜息を吐いてどうしたものかと再びソファに身を預けながら天井を見上げる。すると、小さな声がかけられる。
「あの」
 声を発した少女の方を見る。
 俺と慣れない場所で2人っきりになったせいか、ひどく居心地が悪そうだった。
「何?」
 素気ない態度のせいで更に少女は縮みこむ。ふむ、どうやら内気な性格のようですな。などとふざけた事を頭の片隅で思いながら、今後の行動の予定を立てる。
 とりあえず、明日買い出しに出るとして。
「無理を御頼みして申し訳ありません」
 深々と頭を下げる彼女を、俺は何の感情も向けず見つめた。きっと冷めた目になってるんだろうな、なんて他人事のように考える。
「今日、他の仕事が入ってるから出掛けるけど、君に留守番頼んでも大丈夫?」
 そして、彼女の謝罪を受け取らず、自分の要件を彼女に押しつける。
 彼女の我が儘でいきなり無関係の俺の状況がこうなったんだ。少しぐらいこんな態度でも許されるだろう。
 なんて、自分勝手な考えのもと行動する。
「あ、はい。大丈夫です」
 彼女の謝罪を受け取らない俺の返答に、彼女は反論せず素直に受け取った。きっと素直で操りやすい人間なんだろう。
「そ、じゃあお願いするわ。食糧勝手に使って食べて良いから」
「あ、え?」
「どうせ明後日から旅に出るから消費しないといけないし、好きに使ってくれて構わないから」
 座っていたソファから立ち上がり、俺は手をヒラヒラと振る。まだ彼女が言いたげにしていたが、無視する。こういう人間は、こっちが話を続けさせないよう行動してしまえば口を噤む。案の定、彼女は諦めたようだ。予想道理で面白くない。こんな少女に何を期待しているのやら、と自分を笑いながら荷物を準備する。
 最後に椅子にかけてあった上着を取って外に出た。


 家から出ると俺は穏やかとは言いにくい日差しの中を歩く。少し行った所で大通りから小道に入り、目的の人物を見つけた。
「何で今回の依頼を俺に持って来たんだ」
 こいつにどう取り繕っても何の意味もない事は、今までの経験で身にしみている。不機嫌ダダ漏れの状態で問い糺す。
「仕事、探してるってロイムに泣きついてただろ」
 あの野郎、余計な奴に情報流しやがって。今度会ったらなんか奢らしてやる。
 壁に寄りかかり、楽な体勢になる。ああ、日の光がうざったい。
 眉間に皺を寄せ、溜息を吐きながら目を伏せる俺を見て、男の口からお得意の小言が出てきた。
「お前寝てないだろ」
 ああ、うざったい。
 近くから噴き出す排気ガスの嫌な臭いも、目の前の男の小言も。
「うるさい。…仕事は探していたさ。でもここを長期間離れる様なものじゃない。ましてや聖地なんて」
 男は俺の反応に苦笑するも、それ以上その事について何も言わなかった。
 やっとこいつの癪に障る笑い顔を崩せたが、どうにも釈然としない。
「お前にはちょうどいい仕事だろ?あいつに会いに行くついでに行くと思えばいいじゃないか。しかも旅費が浮くぞ」
「そんな簡単な話じゃないのはお前も良く知っているだろ」
「あいつが寂しがっていたんだ、お前に会いたいと」
 今度こそ、その顔から笑みを消し、寂しい顔をする。男のそんな表情を見た俺は、これ以上この事について言う気が失せた。
 もしかしたら、もう逃げられないのかもしれない。この傷からも、あいつからも。
「あの神官、聖域に行くって事は次の」
「それ以上はここで口にするな」
 酷く堅い声音で、思わず口にした言葉を遮られた。
「すまん…それで、あいつを届ける報酬は」
「あいつに会いに行く口実を作ってやって、その上旅費も出すのにまだこちらから絞り取るつもりか」
 まだ要求してくる俺に、呆れた表情で見つめてきた。
「はっ、今回の依頼で数カ月は稼げないんだ。当然だろう」
「教会にこんなに要求してくるのはお前ぐらいだろうよ」
 そりゃそうだろう。この世界のほとんどを掌握している教会に恐れ多くも金銭を要求する奴なんてそうそう居るもんじゃないだろ。こんな事、俺だから許されているんだ。
 足元のすり寄って来た猫を適当にあしらう。
「良いじゃないか、寄付でたんまり儲けて良い生活してんだから」
「お前も良く知ってるじゃないか。何時でもうちの教会は金欠だ」
 うっとおしい前髪をかき上げ、俺は無駄なやり取りを止めた。そろそろ本題に入らないと倒れてしまいそうだ。目眩がする。
「そう言う事にしておくよ。で、旅の詳細と報酬は」
「まったく…今回の旅は各地域に在る教会に立ち寄り、彼女は一日教会で祈りを捧げる。その時に旅費を渡す手はずになっている。それと彼女の希望した行先は、叶う限り行くとこ」
「今回の護衛は、俺一人なのか」
「ああ、それが彼女の希望だ。それに囮も使う」
「あいつは知っているのか」
「報酬は帰ってきてからお前の言い値で支払う事になっている。無事に戻ってこいよ」
 俺の問いに男は答えず、俺の肩を叩いて去って行く。俺はそれを見送った後、壁伝いにずるずると落ちていき、地面に座って溜息を吐いた。
 ああ、本当に癪に触る。
 この排気ガスも、暖かい太陽の日差しも、未だ近くにいる猫も、教会も、この世界の理も、俺自身も。全て。
 目を閉じて深く息を吐いた。
 そろそろ動きだそう。
 重い体をのろのろと動かし立ちあがり、引きずるように俺は歩きだす。




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