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 本日、わたくし、オイネット公爵の娘フィリネグレイアは自国の王に嫁ぐため居を移します。

 わたくしは己の生まれた家柄のため、国王とは幼いころから面識がありますが、恋人同士ではありません。むしろ恋愛感情を持てるかどうかさえ怪しい状態です。
 そんなわたくしと国王が何故結婚をするのか。その理由は後ほど語るとして、まずはっきりと申し上げなければならない事が1つ。
 国王にどんな感情を持っているとしても、わたくしはこの結婚は好機だと考えています。
 己が国政に介入できる、好機だと。



 王宮に父親であるオイネット公爵と共にやって来たフィリネグレイアは、その一角にある応接室に通された。
 女官が淹れてくれたお茶を飲みながらのんびりと国王がやって来るのをまっていると、入口の扉が開いた。すぐさまオイネット公とフィリネグレイアは立ち上がり頭を垂れる。
「よく来てくれた。さあ、座ってくれ」
 入室した国王はにこやかに笑いながら、彼らに着席をするよう促す。
 顔を上げ間近に見る自分たちの王に、フィリネグレイアは好感を持てずにいた。どうしてもその顔に張り付けている笑顔が胡散臭くて空っぽに見える。
 王は今年で25歳になる。
 即位していくらか経つが、未だに正妻を一度も娶っていない。妾妃は2人ほど居たらしいが、どちらもすでに臣下に下げ渡されていると聞いている。子どもが出来なかったのが原因ではないかと噂されていたように、世継ぎもいない。
 そんな国王の初の正妻となるのがフィリネグレイアである。
 今まで正妃を娶らなかった国王が何故彼女を迎えるのかというと、ここで少々複雑な事情が出てくるのだ。
 第一に、この国王には恋人がいる。
 何故その人を王妃にしないのかというと、その者の身分が王妃にふさわしくない身分であることが原因らしい。
 身分が低いからという理由で臣下たちが渋るのもあるが、何より国王が重圧を相手に与えるのを嫌がっているのが一番の理由だ。
 その人と別れるつもりがないという国王は、困ったことに王妃も迎えないと言いだした。国王が一生独り身というのは都合が悪い。周りからの説得で、国王のパートナーとして公務を行なう女性を迎えることを了承させた。その“公務を行なうだけの王妃”に、フィリネグレイアが抜擢されてしまったのだ。
 何故、彼女が選ばれたのか。
 まだ国王が国立学院に在学中、フィリネグレイアと国王は1度だけ国政について議論し合ったことがあった。その時の事を覚えていた国王が彼女はどうだろうと提案したらしい。
 まさかその時の出来事で自分が王妃に抜擢されるなど夢にも思わなかったフィリネグレイアは思った。
 何故、国王と討論してしまったのだろうか、と・・・。
 さて、国王の恋人が王妃になれない次の理由だが、これが一番衝撃的な事情である。
 国王の恋人は身分が低い理由と共に、決して王妃になれない理由があった。
 それはその人が"男"だということだ。
 これを聞いたときフィリネグレイアは唖然とした。
 そりゃ王妃になれない。
 この事実はごく一部の人しか知らない。事実が発覚してしまえば臣下たちからの非難はひどくなり、国王の恋人に被害が及ぶことは簡単に想像できる。
 とにかく彼女は王妃として国王の国務を支える立場に押し上げられたわけだが、決して強制にこの道を歩かされているのではない。最終的に選んだのは彼女自身である。
 だが、自分で選んだとはいえ、相手と決して愛し合わないと分かっている結婚というのは何とも空しいものだと彼女は思った。
 結婚に愛などというものを求めるほど、彼女は純真でなければ愚かでも、夢見る少女でもない。
 だが、完全に諦められるほど世の中を悲観してもいなかった。
 父親と差し障りのない挨拶をしている国王を見つめていると、父親に向けられていた視線がフィリネグレイアに移った。
 国王と目が合う。
 相変わらず強く、そして恐ろしく感じる程の意思を持っている目だとフィリネグレイアは思った。
「オイネット嬢もお久しぶりです。お元気そうでなにより」
「お久しぶりです。陛下もお変わりないようでなによりでございます」
 笑顔でやり取りする2人。それは周りから見ればとても仲が良く見えるだろう。いや、そう見えていなければならない。
「では陛下、私はこれで」
「はい、聞いています。ゆっくりお話出来なくて、残念です。また、機会があればお話を聞かせて頂けませんか」
「もったいないお言葉、ありがとうございます。謹んでお受けいたします。・・・陛下・・・娘を、宜しくお願いします」
 オイネット公が国王に頭を下げた。
「私に出来る限りのことをします。安心して下さい」
 それを静かに見つめる国王の表情は優しかった。
「では、失礼いたします」
 オイネット公爵は退室し、部屋の中にはフィリネグレイアと国王の2人だけが残された。
 さて、これからどうするのだろうかと国王の行動を待っていたフィリネグレイアに、国王が提案する。
「お疲れでなければ、王宮の庭園へ行きませんか。丁度、花々が美しく咲きほこっていますよ」
 胡散臭い笑みを浮かべたままこちらを見てくる国王に、フィリネグレイアは嫌な予感を覚えた。だが、拒否出来ない事も覚っている。
「是非、見てみたいです」
 眉間にしわが寄りそうになるのを堪えた。
 耐えろ自分、と心の中で唱える。簡単に感情を表に出してしまうようではこれからの生活に支障をきたす。
 己の心を固く閉ざし、上辺の感情を自由に操る様にならなければ。
「貴女が来たら是非お見せしたいと思っていました」
 自分の提案が受け入れられた国王はフィリネグレイアに向かって手を差し出した。その掌の上に自分のを重ね、フィリネグレイアは花咲くように笑いかけた。
「とても楽しみですわ」

 国王がエスコートしながら、2人は応接室を出て少し歩いたところから庭園へと足を踏み入れた。ゆっくりとフィリネグレイアに歩調を合わせて歩く国王は、庭の説明をしてくれている。
 国政などに全く関係ない話の内容に、フィリネグレイアは違和感を覚えた。これではまるで本当の婚約者同士の逢瀬の様だ。
 事情を知らない人たちにはそう見えていないといけないのだが、この状況がフィリネグレイアにはじれったく感じた。
 やがて土ではなく、水中で根を育てる花々が美しく咲き誇っている場所にたどり着いた。ここで、遂にフィリネグレイアは耐えきれなくなった。彼女は近くに誰もいないことを確認する。
 だが、どこから誰が見ているか分からない。
 顔に笑み貼り付けたまま、冷たい声音で問う。
「国王陛下、わたくしに何か言いたいことがおありだから庭園の散策にわたくしをお誘いになられたのでしょう?」
 そこは美しく、普通なら見る者を長い間惹きつけてしまう場所なのだが、今の2人、特にフィリネグレイアにはそちらに気を取られている余裕はなかった。もしこれが国王と一緒でなければと心の隅で思ってしまうほどに。
「思ったより、貴女は自分の気持ちを優先させる人なのですね」
 国王が浮かべた微笑みがその言葉に加わり、フィリネグレイアは不快でしょうがなかった。
「貴方に対して回りくどい事は無用だと判断したまでです」
 この答えに、国王は微笑みを深くした。
「陛下、貴方はわたくしの意思を確認したいのですか?それなら不要です。わたくしは全て承知で貴方の偽りの妻となるために来ました」
「本当に貴女は、それで良いのですか?」
 間髪入れずに問うてきた国王にフィリネグレイアは心外だという表情をした。
「貴方がそれをわたくしに問うのですか?原因を作り出した当人の貴方が」
 食ってかかるフィエリネグレイアがおもしろいのか、先程のさわやかな微笑みとは違う笑みを浮かべていた。
 国王がこういう表情を浮かべるのは、彼女にとって迷惑な事が起こる前兆であるわけでして。フィリネグレイアは引きつりそうになる顔を何とか意地で押しとどめた。
「それを言われると痛いですね」
 そんな事思ってもないだろと心の中で思う。
「本当に申し訳ないと思っているんですよ?私の我儘で貴女に負担をかけてしまいますし」
 一瞬息が詰り、それまで保っていた笑みが消えた。
 静かな表情で彼女は言う。
「いえ、むしろ御礼を言いたいぐらいですわ」
 フィリネグレイアの返答に、国王は驚いたような間の抜けた表情をする。
 だが、次の瞬間表情を元に戻すと、国王は彼女に身体を寄せた。
「貴女とのこれからの生活が楽しみだ」
 いきなり近づいてきたと思ったら、耳元でこう呟かれた。フィリネグレイアは動揺して身体を反射的に引いてしまった。
 顔が熱くなっていく。顔が赤くなっているだろうと予想できるが、混乱し始めた頭ではそれを対処する余裕がない自分を叱咤するがあまりのことに対応が追い付かない。
 いや、むしろ叫ばなかった自分を褒めてあげたい。
「おや、今回は奇声を上げないんですね。エライエライ」
 原因ににこやかに褒められて一気に頭が冷えたフィリネグレイアは、冷えたとこから沸々と怒りが湧き上がるのを感じた。
 お前が言うか。
「わたくしは貴方と今まで生活を共にしてきた方々を尊敬します」
 自分が出来る最大限の嫌味を含んだ声で言うが、どうやら相手には全く効いていないようで酷くしゃくだ。
 離れても残る国王が直ぐ側にいた感触に、フィリネグレイアは鳥肌が立ち、非常に不快だった。