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 胸の中で固まって重くなっていた気持ちを言葉にして吐き出したことで、ほんの少し気分が楽になった。
 晴れた茜の心情とは違い、外はまだどんよりと黒い雲が空を覆いつくしたまま雨が降り続いており、弱まる気配が無い。こんな天気の中を駅から歩いてくるなら、確実にずぶ濡れになってしまう。
 コーヒーの良い匂いが店の中に広がっていて、彼が来たら直ぐに温かい飲み物を出せる準備は整っているようだ。
「良い匂いですね」
「一杯、飲んでみる?」
 魅力的な誘いだが茜は丁重に遠慮した。マスターはそう?と軽く返事をする。
 カランコロン、と出入り口のドアに付いているベルが軽い音を立てて来訪者の訪れを告げた。
「こんにちは」
 ドアの方を見ると店内に入ってきた蘇芳が笑顔で挨拶をする。
「いらっしゃい。酷い雨だから随分と濡れてしまったんじゃないかい?」
「ええ、すごい土砂降りで、だいぶ濡れてしまいました。体も冷えてしまって。マスターいつものもらえますか」
「準備しておいたから、直ぐ用意するね。濡れてくるだろうと思ったからタオル用意しておいたんだけれど、使うかい?」
「はい。ありがとうございます」
 蘇芳は手に持っていた傘を店内に置いてある傘立てに入れると、マスターが差し出したタオルを礼を言って受け取り、肩や腕に付いた水滴を拭く。
 粗方拭き取ると、蘇芳は茜の隣の席へやって来た。
「こんにちは、蘇芳さん」
 茜は笑顔が自然と浮かんだことに内心、安堵する。
「こんにちは。昨日は急に予定を止めてしまってごめん、茜ちゃん」
 席に座る前に茜に対して蘇芳は謝る。彼の顔を見て、茜は自分が思っていた以上に彼が約束を取り止めた事を悪く思っていることに、慌て気にしないでくださいと返す。
「また今度、一緒に出かけよう」
「はい。楽しみにしています」
 彼が次の約束を口にしてくれたことが嬉しい。
「はい、コーヒーをどうぞ。」
 マスターがカウンターにコーヒーを置く。
「ありがとうございます、マスター」
 蘇芳はマスターにお礼を言うと、茜の隣の席に座り、早速出してもらったコーヒーを飲む。
 雨の中を歩いたせいで冷えた体を温める。熱が体に染み渡っていき、無意識の内に体に入っていた力が抜けていった。
 コーヒーの良い香りと、店内にんがれる音楽、そしてこの喫茶店の雰囲気に心が落ち着く。
 リラックスする蘇芳とは反対に、茜は段々と緊張で体が強張らせていった。
 昨日、何があったのか。今日、なぜ菫と一緒に病院にいたのか。茜は聞きたい事が頭の中を駆け巡り、それらを穏便に聞き出すためには何と言えば良いのか、言葉を探す。だが、浮かんできた言葉はすべて喉の辺りで詰まり、音となって発する事無く胸の奥に沈んでいく。
 沈んでいった言葉に引きずられて、自分の気持ちも落ちていってしまう感覚に、茜はこれではダメだと自分を叱咤する。
 ここで何も聞かずに終わらせてしまっては今までと変わらない。
 変わると決めて、行動し始めたのだ。
 沈む気持ちを無理やり引っ張り上げて、言葉を発しようとした。
 だが、茜よりも先に蘇芳が口を開く。
「実は昨日、同僚でもある友人が、仕事先から帰ってくる途中に事故に巻き込まれてしまって」
 蘇芳の思いがけない言葉に、茜は目を見開いた。
「病院に運ばれて、なんとか昨日のうちに峠は越えたんだけど、今朝まで意識が戻らなくて。俺が付いていても何も出来ないけど、どうしても落ち着かなくて。そんな状態じゃ絶対に茜ちゃんに迷惑がかかるだろうから、茜ちゃんには申し訳ないけれど、迷惑をかけるくらいならいっそ予定を止めて、あいつの方についていようと思ったんだ」
 言い訳にしかならないけれど、と言った蘇芳は、茜に心配させないためか、沈みそうになる気持ちを無理やり引き上げるためか、笑顔を浮かべる。
 それは無理に引き出した、ぎこちないものだった。

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