第10 夏祭りの出来事

 初夏を過ぎ、夏祭りが各地で開催される季節。
 私は祭りの手伝いのため神社に来ている。手伝いと言っても、神に奉納する神楽舞の演奏に参加するだけなので、特に忙しいわけではない。本番は夜なのだが、それまで特にする事がない。私は夕焼けに染まっている境内の、人混みの中を1人歩いていた。
 参道に立ち並ぶ屋台や、それらを楽しげに見たりしている人々を見ながら散策していると、聞き慣れた声が私の名を呼んだ。
「あやめ!」
 声が聞こえた方を見ると、浴衣を着たほたるが小走りに私の方へ向かって来ていた。
 私もほたるの方へ歩いて行く。
「ほたる、走ると浴衣が崩れるよ」
 私がそう注意すると、ほたるは慌てて足を止めて自分の恰好を確認する。
「え?どうしよう。崩れてない?」
「うん。大丈夫だけど、気を付けてね」
 ほたるは私の言葉に安心したようで、焦った表情を笑顔に変えた。
「あやめ、今は休憩中?」
「休憩中と言うより本番までの暇を潰している最中なの」
「それなら時間まで一緒にお祭り見て回ろう」
 ほたるの提案を私は直ぐに了承する。

 私はほたると一緒に、境内に並んでいる出店で売られている品々や金魚すくいなどの、祭りでは定番のお店を見て回った。
 そうして過ごしていると、再び私の名を呼ぶ、聞き慣れた声が聞こえた。
「柴田さん、住田さん、こんばんわ」
 私を呼んだのは村上くんだった。彼は小さな男の子の手を取ったまま私たちの方に来た。彼の隣には可愛らしい浴衣を着た女の子もいる。そう言えば先日緋華里さんの家で会った時、今日の祭りの事について話した際に妹弟と一緒に行くと言っていたなと思い出す。ということは、あの女の子と男の子は彼の妹弟なのだろう。
「村上くん、こんばんわ」
 私とほたるは村上くんに挨拶を返す。
「あの子たち村上くんのご兄弟?」
「うん、妹の巴と弟の貴」
 村上くんが妹弟が紹介すると彼らはそれぞれはじめましてと小さく頭を下げた。こちらも簡単に自己紹介する。
「はじめまして、お兄さんと同じ高校に通っている柴田と住田です。よろしくね」
 私がそう言うと貴くんは村上くんに隠れ、巴ちゃんは笑顔でよろしくと返してくれた。
 自己紹介が終わった後、何となしに皆で祭りを見て回る。
 ほたるは積極的に巴ちゃんに話しかけ、恥ずかしがって村上くんに隠れていた貴くんも引っ張り出して、あっという間に仲良くなっていた。2人を引っ張ってあっちやこっちの店を見て回る。私は、ほたるすごい、と思いながら彼女たちのやり取りを見ていた。
「貴は結構人見知りするんだけど、住田さんすごいな。あっという間に懐いた」
 村上くんの言葉に私は頷く。ほたるは人に壁を感じさせない。彼女はいつの間にか気に入った人の懐に入り込んでいる。その手腕を見たり聞いたりするたびに、その特技を羨ましく思う。
「そういえば、柴田さんは今日の神楽舞に参加するんだよね。時間大丈夫?あと1時間ぐらいだけど」
「もう少ししたら着替えて控え室に行かないと」
 本番がすぐそこまで近づいているのだと思うと緊張してくる。
「楽しみにしてるよ」
「まだ経験が浅いから、失敗しないか不安だけれど、ご期待に添えるよう頑張ります」
「柴田さんなら大丈夫だよ」
 村上くんが優しく笑みを浮かべて、私に告げる。彼の言葉で、私は胸に感じていた重圧がすっと取り除かれた。彼の言う通り、大丈夫な気がしてくる。
 その一方、頭の隅に彼の表情をどこかで見た事があると考えた。・・・どこで見たのだろうか。
「うん、頑張るね」
 私は彼に笑い返した。
 そして私は自分の手に触れる暖かい存在を感じた。己の手を見てみると、村上くんが私の手を握っている。私はそれを拒否することなく、受け入れた。直ぐに解けてしまいそうなので、少し強く握り返す。村上くんは少し驚いた表情をしたけれど、直ぐに私と同じくらいの力を手に加えてくれた。
 もっと彼の側に居たい。そう思った時、私は誰かに呼ばれた気がした。そして村上くんから外し、人混みの中へ視線を向ける。人々が行き交う中に、見たくない光景を見つけた。
 あの人が、彼女と一緒にいるのを、見つけた。
 先程まで感じていた幸福感でいっぱいだった思いも、穴が開いてあっという間に流れ出し、空しさだけが残る。私は掴んでいる手から力を抜き、村上くんの手からするりと手を離した。
 見たくない。なのに、私はあの光景から目を離す事が出来ない。叫び出しそうになるのを、身体に力を入れることで堪えた。
 どうして、何故、という言葉が頭の中を駆け巡り、胸が痛みだす。
「どうかした?」
 村上くんが心配そうに私に問いかける。そのおかげで私はあの光景から視線を外す事が出来た。
 村上くんは笑みを消して私を案じる表情に変っている。ああ、心配をかけてしまったと私は顔の筋肉を動かして笑みを作る。
「何でもないよ」
 私がそう言っても村上くんの表情が晴れることはなく、彼は私が見ていた方向を見る。私が変ってしまった原因を見つけようとしているのだろうか。私は村上くんがそれを見つけてしまう事に、何故か恐怖を感じた。
 彼の意識を私に向けるために、彼の手を再び取った。
 私の思惑通り、村上くんは私に意識を戻してくれた。ん?と反応してくれた彼に私は安堵した。頭の中を駆け巡っていた言葉も胸の痛みも、村上くんを見てすっと消えて行った。
 私に安堵をくれるこの人の手を離したくない。けれど、私は彼から手を離した。
「そろそろ、準備しに行かないと」
「そう。頑張って」
 送り出してくれる彼に、私は頷いて歩き出した。
「ほたる、私、準備しに行くね」
 少し離れた所で巴ちゃんと貴くんと楽しそうに遊んでいたほたるに聞こえる様に大きな声で告げると、彼女は私の方へ来て手を握る。
「あやめ、頑張ってね」
「うん」
 2人に応援してもらって、彼らに背を向けた私は目的地へ向かう。
 私はあの光景を見て酷く動揺した。これから神事に携わるというのに、精神が乱れてしまったのは非常にまずい。だが、今ならその乱れを正常なものに抑えられる。
 私は彼らが握ってくれた自分の手を見た後、後ろに振りかえった。
 村上くんやほたるは振り返った私に、笑顔で手を振る。
 彼らを見た瞬間、無意識のうちに小さく言葉を口にしていた。自分が何を呟いたのか自覚した私は、それをしっかりと意識して彼らに言葉を送る。
「2人とも、ありがとう・・・私、がんばるね」
 今度こそ、私は振り返らずに目的地に向かった。
あの人は私の心を乱す人 彼は私の心を落ち着かせてくれる人

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