top / next

 いつもの日課が終わった後、足早に目的地へと足を進める。
 風はまだ冷たいが地上に降り注ぐ日差しは暖かく、少し運動をしただけで汗をかく。
 目的地であるお気に入りの喫茶店の前に着くと、扉の取っ手を引いて自身が通れるだけの隙間を開けて、中に中に入る。
 カラン、カラン、と扉に取り付けられている鈴が、人が入室した事を知らせる。
「いらっしゃいませ」
 聞きなれた、この喫茶店の店長であるマスターの声が出迎えてくれる。カウンター内にいるマスターが優しい笑顔を向けてくれているのを見て、こちらも自然と顔に笑みが浮かんだ。
「こんにちは」
 カウンター席に座りながら紅茶とチーズケーキを注文する。
 マスターは笑顔でいつものだね、と了承し注文したものを用意する。
「今日は何を描いて来たんだい?」
「今日はこれ」
 持っていた荷物からスケッチブックを取り出し、喫茶店に来る前に公園で描いてきた絵の部分を開いてマスターの方へ差し出す。
 マスターは作業の手を止めて、差し出されたスケッチブックを受け取る。
「これは公園近くにあるビルかな?」
「そう。今回は何となく、自然じゃなくて無機物を書きたくて」
 ありがとう、と礼を言ってマスターはスケッチブックを返すと、紅茶とチーズケーキを出した。
「どうぞ、召し上がれ」
「頂きます」
 出された紅茶を飲む。
 紅茶の良い香りと良い味が気持ちを落ち着かせてくれる。
 フォークを手に取り、大好きなチーズケーキを一口サイズに切り取って食べる。やはりこちらも大変おいしく、絵を描く事で生じていた疲れがすっと消えていく。
 黙々と紅茶とケーキを口に運んでいき、チーズケーキを半分ほど消化したところで、店の出入口に付けられている鈴が鳴った。
 扉の方を見ると、男性が1人、店の中に入っていた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは、いつものお願いします」
 マスターが声を掛ける。
 男性は挨拶と共に注文をし、カウンター席に座る。
「こんにちは、蘇芳さん」
 チーズケーキを食べる手を止めて、男性に挨拶をする。
「こんにちわ、茜ちゃん。今日はどんな絵を描いて来た?」
 1つ隣の席に座った男性は、優しい笑みを浮かべた。
「今日は公園近くに建っているビルを少しだけ」
「ビルを?珍しいね、君が植物以外を描くなんて」
「たまたまです」
 普段は公園内の植物を描いているし、先ほどにマスターに見せたスケッチブックには多くの植物を描いている。時々だが、無機物や動物を書いたりもするが、描く頻度を数値で表したら植物は9、それ以外は1、と断言できるほど、植物以外を描くのは希である。
 蘇芳の指摘に茜は苦笑したが、内心は彼の指摘に歓喜していた。
 自分が植物以外を殆ど描かないと言う事を、蘇芳は知ってくれている。
 彼が自分の事について覚えてくれている事に、茜は喜びを感じた。

top / next